中国・九州地区環境先進自治体首長サミット(第2回)

日時:2016年2月11日(木・祝)14:00?16:30

場所:長崎原爆資料館 ホール

<出席市長>(敬称略)

水俣市 市長 西田弘志

対馬市 市長 財部能成

長崎市 市長 田上富久

(コーディネーター)すぎ本育生(環境首都創造NGO全国ネットワーク 代表幹事)

サミットの概要

九州地区の持続可能な地域社会づくりに意欲を有する自治体の首長が環境NPOとともに、各自治体の優れた取組事例について共有するとともに、環境を大切にした持続可能で豊かな地域社会の構築のために求められることについて、議論を行いました。

以下、サミットの摘録。

開会挨拶

田上)今日は「持続可能な地域づくり環境サミットin長崎」ということで開催したところ、多くのみなさんにお越しいただいた。

今日でランタンフェスティバルも3日目となる。大きな船が入ってきており、多くの人が中国からお見えになっている。長崎で旧正月を楽しんでいる。ランタンフェスティバルは光を楽しむものだが、光もエネルギーでつくられている。ということで、エネルギーを考えるサミットを開催したい。

今日は水俣市長、対馬市長に2人とも忙しい中、参加いただいた。これから色んな話が出てくるが、3市とも特徴があり、参考となる話が聞けると思う。

今日はそれぞれのまちの取組からヒントを得て、未来へのエネルギーを充填する会としたい。

趣旨説明

すぎ本)今日のディスカッションテーマについて、話をしたい。

2001年から2010年、互いの取組を切磋琢磨する「環境首都コンテスト」を実施した。そのときに、3市にも積極的に参加いただいた。このコンテストは2010年に終わったが、その後も自治体、NPO、専門家でネットワークを組んで、取組を続けている。そのネットワークで、各地区で今日のような集まりなどを行っている。

このサミットは、前回は宇部市で実施した。そして今日、長崎市での開催が実現した。

テーマは「持続可能な社会」。

環境を重要視しているが、それだけではなく、経済面、社会面(人権、福祉、社会保障等)もあわせた社会である。残念ながら今の社会はそのような社会ではないが、そうでないと子々孫々に申し訳が立たない。

環境の中でも気になるのが、異常気象。気候変動枠組み条約の事務局長は、「人類は新たな危険領域に入った」と言っている。日本でも記憶に新しいが、一昨年、鬼怒川の決壊があった。このようなことが日常的に起こるようになった。2013年フィリピンを襲った台風は最大瞬間風速87.5mであった。石垣島、与那国島を襲った台風では、コンクリート製の電柱がなぎ倒された。地球温暖化、気候変動は色んな悪影響を与えることがわかっている。

今まで京都議定書があったが、昨年12月パリ協定が結ばれた。ただし、残念ながら日本の中ではその趣旨がうまく伝わっていないと感じている。

パリ協定では大変なことを言っていて、2度未満、できれば1.5度に気温上昇を抑えることを言っている。昨年までで1度上がっているので、残りは0.5?1度しかない。

そのためには、変わらないといけない。今世紀後半には、二酸化炭素排出量実質ゼロが必要である。排出量を海や森林が吸収できる量と同じかそれ以下とするものである。つまり、次の時代に行くということを世界が決めた。しかし、これを日本ではきっちりと受け止められていない。無理と言っている人がいる。しかし、世界は真剣に受け止めている。科学者たちのレポートから、何とかしないといけないことを認識している。

IPCC第5次評価報告書には面白いことが書いている。多様な道があるが、制約するのは「意志の欠如」だと。「意志の欠如」と書いている報告書は初めて見た。本気になって取り組もう、と言うことである。

パリ協定締結には、各国の首脳がリーダーシップをとった。オバマも習近平も。それを支えたのが、再生可能エネルギーの状況である。昨今の世界の状況を見ていると、もう十分に今までのエネルギーに太刀打ちできるようになってきている。例えば、アメリカ、インド、フランスが主導した「国際太陽光発電連合」、そして、ダイベストメントの動きである。ダイベストメントは化石燃料企業から投資を引き上げるという意味だが、色んな銀行や金融機関がやろうとしている。世界は変わろうとしている。

それに対して、日本は石炭火力発電所の建設を容認している。つまり、世界と日本は噛み合っていない。それはなぜかというと、GDPとCO2排出の傾向の違いがある。日本はGDPとCO2のトレンドが同じだが、ドイツはGDPが上がる一方でCO2排出は下がっている。そういう経済社会に行っている。だからやろうとしている。不可能じゃないことがわかってきた。決してマイナスではないことがわかってきた。

それが日本では出来きれていない。その中でも、今日は、地域社会から、地域から何かできるのではないかということを、あわせて、本当に暮らしやすいまちをどうつくっていくかということを3人の市長さんと考えていきたい。

水俣市事例紹介

西田)(発表タイトルに)「日本の環境首都として」と書いている。先ほど、環境首都コンテストの話があった。水俣市も10年間参加して、環境首都の称号をいただいた。

水俣の概要だが、熊本県最南端にある小さなまち。人口は2万6千人を切っている。高齢化も進んでいる。昨年は34%、今年は35%の高齢化率ということで、高齢化が進んでいる。

この絵は地形だが、源流から不知火海まで完結型のまちになっている。自然が豊かで、湯の児温泉(海の温泉)や湯の鶴温泉(山の温泉)がある。自然豊かで魚もすごく獲れたまちだった。

そこに公害の水俣病がおこった。原因企業はチッソである。1908年に水俣に進出してきた。水俣市はそれからチッソと一緒に発展してきた。人口のピークは5万5千くらいまでいった。

昭和31年は水俣病が公式確認された年。それから今年で60年になる。この時をピークに人口がずっと下がっているのが水俣の現状である。

水俣病を4大公害病のひとつとして日本の子供たちは学ぶが、水俣病という名前をずっと背負っている。水俣病では、環境破壊、健康被害、差別偏見が起こった。人権の問題とも言われている。同じまちの中に加害者と被害者がいる。地元の学校に行くとチッソの関係者もいる。まちに軋轢があって、人と人のぶつかり合いがあった。水俣病のことを先生が話をすることは、かつては無かった。

今は違う。水俣病のメカニズムを教えている。どうやって水銀が海に流れて、魚が食べて、どうなったかを。そのことを子供に教えているが、当時はタブー視されていた。水俣の人は他所に行ったとき、出身地が言えないことが長く続いた。

水俣病が発生して、どうにかしていこうということで、国が公害防止事業として、14年掛けて、水銀を浚渫し、埋め立てた。この写真の右上、チッソの百間排水口を埋めた。その中にメチル水銀があって、海に流れ、魚が汚染されていた。点線の部分を埋め立てた。その結果、現時点では、水銀があったものも浚渫して閉じ込めた状態となっている。その上に土を埋めて公園としている。最終的にはどこかで処理をする必要がある。無害化は今はできないが。

そして、水俣湾では、サンゴが蘇った。ものすごく再生している。サンゴも見えるし、魚、海草、稚魚も育つようになった。しかし、近辺の魚はイメージがついている。今もなかなか乗り切れていない。しかし、今はそれを逆手にして、やっていこうとしている。オーガニック、安全安心なものを出していこうという機運になっている。

平成3年に国際会議を開催したが、その頃からソフト面にも力を入れている。「環境・健康・福祉を大切にするまちづくり」を宣言した。平成4年、「環境モデル都市づくり」の宣言を行った。そういったまちづくりをやりたい、という宣言である。その中で私たちは水俣病のような公害を二度と起こさないことを宣言した。市民の願いでもあるし、二度と起こらないように発信していこうというのが私たちの役割である。

そして、環境モデル都市づくりをスタートさせていただいた。その中で「もやい直し」の取組をしてきた。患者企業、軋轢があって混沌としたところがあった。チッソでの座り込みがあったり、そこに色んなメディアの取材が入ったので、色んな団体が強く言ったのがメディアに多く映った。混沌としたところがあったが、もやい直しで修復しようと。もやい結びをモチーフに進めさせていただいた。

そして、患者と企業。色んな事業を一緒にやったり、当時の吉井市長が現場に入り、色んな団体と一緒に話そうというのを始めた。それまでは、そのような取組はなかなかなかったのが実情だった。

そして、モデル都市づくり宣言をして、色んな事業をやっていこうということで、ごみの分別を当時最先端のもの、細かく分けようということで市役所の方が地域を回った。さらには、環境ISOの取得、ホテル版、保育園版、学校版ISOなどをやってきた。環境マイスターの整備など、色んな事業を行ってきた。そして、持続可能で元気なみなまた、環境首都につながった。

こちらが国の環境モデル都市認定証を示したもの。2008年に国に認められた。そして、2011年、日本の環境首都となった。前市長が称号を得るところまで至った。

これがごみステーションの様子だが、水俣は21分別をやっている。平成5年から始めたが、当時は分別するという意識はほとんどなく、非常に苦労した。しかし、月に1回みんなで集まってやることで、地域のコミュニケーションが回復していったのもひとつの成果である。そして、地元の小学生、中学生が手伝うという仕組みになった。これは第2中学校。中学生たちが非常に熱心にやっている。環境学習の場ということで、子供たちはビンも分けるとか、鍋は鍋、というのが身についている。他所へ行ってもあまり分けていないと心配になるくらいである。分別で、大体1000万円くらい益金ができる。それを地域に、各自治会にお返しすることで、使う方法は地域に任せている。環境学習の予算に使ったりしている。それによって地域の方が、リターンが返ってくるということでモチベーションになっている。いいサイクルとなっている。

ごみ減量女性連絡会議をつくったが、ごみや環境問題に対しては女性が本腰を入れないと進まない。ごみ減量女性連絡会議をつくって色んなことを会議した。その中で生まれたのが、食品トレイの廃止やレジ袋の削減。これも協定を結んだ。生協に来る人は9割はエコバッグを持ってくるということになった。これによって、削減が成し遂げられた。

さらに、水俣では円卓会議を開催した。ゼロ・ウェイスト、環境にやさしい暮らし、環境大学・環境学習、観光と公共交通、エネルギーと産業の円卓会議である。この5つを水俣市民、行政、専門家を入れて色んな環境について話し合う機会をつくった。これはそのひとつだが、ゼロ・ウェイスト円卓会議の様子である。環境にいい事業はどういうものかを考えて、この中でゼロ・ウェイストのまちづくり水俣宣言を行っていただいた。最終的に、ごみをなくそうという目標を掲げて燃やす、埋めるものまでなくすというもの。目標を大きくかかげて。

これは「みなへら(みなまたでへらそう)通信」という、市民がつくった広報誌。こういうものを自分たちで取材してやっている。

これは「キエーロ」と言っている(キエーロ:生ごみ処理容器)。生ごみを分別しているが、これを使って、自分の家で処分しようというもの。これは私の家の前の様子だが、生ごみを出すことはない。これを使って、ほぼうまい具合にいっている。こういうものを広げていこうという取組である。

これは焼酎だが、休耕地を使ったまちづくりの取組である。休耕地を使って、いいことをやろうというのがこれ。さつまいもを休耕地に、地域の寄ろ会の方と行政の職員が一緒に入って焼酎をつくった。リユースビンを使ってやっている。

また、環境アカデミア機構を今、準備している。水俣高校の跡地を使って、大学の方が入っている。環境、水俣病、水銀、などのテーマで。今年の4月につくる。それに先駆けて慶応大学、九州大学、台湾の大学などとも連携協力の協定を結んだ。水俣をフィールドとして、今年の4月開校となる。

これが最後の話。水俣は持続可能な地域づくりを考えている。何が一番大事かというと、市民と一緒に協働することが一番重要と思っている。行政が押し付けるのではなく、一緒に頑張ってやっていくのが持続可能な地域づくり。これは、水俣出身の歌手で、村下孝蔵の「初恋」という歌だが、高校生編、老夫婦編などがあり、地域のローカルスポットで流している。地域のまちづくり委員会に入り、こういったまちづくりを進める。市民と一緒になって行政もやっていく。それが持続可能な地域づくりとなっていくと考えている。

対馬市事例紹介

財部)私は残すところ任期45日となった。しっかりと目に焼き付けてほしい。

環境という視点に立ったとき、対馬は水俣のように大変な問題が起こったわけでもない。しかし、持続可能な地域をつくっていくためにはどうすればいいんだろうと、どうしても対馬の場合、環境というキーワード抜きにはありえないだろうということで、取組を、今、ずっとしていることを話したい。

対馬は南北82km、東西18km。もっぱら9割が森。この森をどのようにいかしていけば良いかが大きな問題である。人口は3万2千人。産業は水産が当然基幹産業であり、かつては300億円くらいの産業だったが、130億円くらいまで落ちこんでいる。観光ということでは釜山から1時間で高速艇が入ってくるので、昨年21万6千人の韓国人が対馬に入ってきている。山や海で魚を釣ったり、自転車でフィールドで遊んでいる。

住んでいる人をどのようにもっていくかに、すごく今取り組んでいる。そのひとつが「地域マネージャーづくり」と呼んでいるが、任期8年の1年目から地域マネージャーで、選挙を戦った。決まったルールはないが、「職員に負荷を掛けます」と言って、選挙を通り、地域の担当性を明確にした。

約600人の職員のうち、色んな事情のある場合、子供が小さいなどの場合を除いて、色んな地域の担当で349名を地域に貼り付けた。地域の方が色んな考えに及んで欲しい、職員もしっかりと地域をつなぐことを取り組んで欲しい、と考えている。最終的に地域の計画を、小さい行政区があるが、小学校の校区別に地域づくり計画をつくってくださいと言っている。ただし、みんながつくれるわけではない。地域の問題、職員の質の問題がある。そこには凹凸が出ざるを得ないと考えている。

子供たちにも地域のことを学んで欲しいということで総合学習があったが、その中で最近ESDの理念にもとづいたことを取り入れている。これは宇部市と水俣市、対馬市の子供たちが相互に交流をして、それぞれの環境学習を学んでいこうということでやっているものである。

そして、コトを活かすということで地域の住民以外に、外部の人を導入している。導入しないとマンパワーは限られている。域学連携で取り組んでいる。13大学と連携している。対馬には大学がないので、知が地域に下りない。それに対して、地域住民が刺激を受ける機会が少ない。そこで大学、インターンの学生を受け入れる。修論を書きたい学生に、学術研究の補助金を出して。その代わり、その成果をうちにもらって、それを使う。学生は短い場合1週間、長くて4ヶ月、地域に入ることで地域の人のものを見るものも変わる。最終的には、それが良いサイクルを生めば、持続可能な地域産業ができる。

もうひとつ求めているのは長崎学とよく言うが、私たちも対馬学をつくりたい。そして、対馬学会を立ち上げるためにフォーラムを立ち上げて、62の成果を、大学が発表するフォーラムを開いたところである。

先ほどのとおり、最初50名だったが、外部の人500名が2000泊する。北海道大学から琉球大学まで全ての日本から来ていただく。こんなことをやっていると、1回来たら、また、勝手に来る。大学を休学して2年間飛び込んだ学生もいる。色んな学生が集まってくる。

これは、地域の人による自然環境保全の取組である。ツシマヤマネコは、ほとんどの人が知っているが、これを守っていくことが活性化につながるし、未来に生きていくためには象徴的な生き物である。ツシマヤマネコの餌は山の中にも田んぼにもいる。しかし、100頭くらいしかいない。実際は捕獲して病気で捕獲されたヤマネコをセンターで見ることくらいしかない。しかし、大事な象徴的な生物である。この環境の象徴を残していくために、生産者と消費者が大事。消費者は、まさに都市部とつながっていくことである。

そのための施設が、環境に配慮した米を扱っている「よりあい処つしま」である。これは博多駅の駅前に平屋建てを30坪で建てた。ここで、米を扱っている。ここはアンテナ食堂でもあり、夜は酒も飲める。魚をどんな料理屋よりも新鮮なのを中抜きして、安く出している。アナゴを刺身で食べられる。京都の料亭の女将が日帰りで食べにくる。2.5トンのお米が使われている。そのお米を食べて、アンテナショップで買って帰る、いいサイクルができている。

ヤマネコに市民も一生懸命やっている。今の経済優先に疑問を感じながら、昔の農作物のつくり方をやってみようかとやっている。これはわずかだが、ヤマネコが捕食している餌である。対馬のマムシも食べている。色んなものを食べて生きている。この捕食されているものが生きていける環境をつくらないと、ヤマネコは生きていけないということである。私たちがこの虫を大切にできると、子供たちに教えている。

陸域の話をしたが、日本は島国で、対馬も周りは海である。先程のとおり、300億円から130億、140億円まで落ち込んでいる。それは単に資源がなくなっただけではなく、取り過ぎの問題もある。お互いがそれを考えないといけない。間違ってはいけないのは、10年間お魚を100円で買い続けてなくなる世界を望むか、130円で30年間続ける世界を求めるかということである。それを消費者は問い詰められている。そういう視点で、お魚を守っていく。委員会を設置して、この設定に向かって動いている。

対馬の問題はいっぱいある。黄色い線は日韓中間線みたいなものである。はっきりしていない。1977年に領海法ができた。そのときの考えでは西側3海里であった。200海里、12海里という話があるが、日本には、もらっていない地域が5つある。そのうちの1つが対馬。西側3海里、東側8海里。外国に近いというのもあるし、さまざまな国際通商上の問題もあり、狭められている。その中でどのように水産をいかしていくかが地域に突き詰められた問題で、これを環境の面で取り組んでいかないといけない。

そして、森林資源。これもそうだが、全部対馬の材で、対馬の公共施設はやっていこうということでつくっている。高い地域材を使うのはどうか、ということもあるが、やはり地域の中で環境という視点に立ったとき、そこのコストをかぶろうと考えている。そうでないと愛着も持てないし、持続可能ではない。ということで、公共施設で対馬材を使っている。木質バイオマスをどのように使うかがこれからの大きな問題。89パーセントが森で、水源涵養、海を育てる森という視点からも大切である。生物を育むための機能としても森は大切である。森を荒らしたときに自分たちの命は縮まる。そのために今、バイオマスに急ピッチで取り組んでいる。28年度、木質バイオマスの発電や熱供給に一気に入り込む予定である。

省エネでも東工大等とタッグを組んでスマートメーターを導入するので、その連携の中でデマンドレスポンスをしっかりやっていきたい。

先ほど木質バイオマスエネルギーを28年からやっていくと言った。対馬は九州本島と電力がつながっていない独立電源の島なので、化石燃料で20億円ほど九州電力が赤字である。今、先生がいるが、ボイラーを、発電をどのように導入していくかが大事である。これにしっかりと取り組むことで、電源の環境ということでベースロード電源として導入をしていこうと考えている。

色んな話をしたが、そこに住んでいる人と資源をどのように融合すればよいかということで、地域マネージャーが入り込んでやっているが、ある地区では好き勝手につくった公民館がある。これが通常の公民館で、こちらが、地域の人が勝手に設計したものである。お年寄りが子どもを眺めながら、ゆっくりしゃべれる空間としている。公民館の設計を地域でしてくれて、こんなふうになった。しかし、それで良いと思う。その地域の人が納得すれば。2000万円の補助金しか国なら出ないところに4000万円使った。30年の施設を50年使えれば儲けもの、というふうに考えている。

以上、とりとめのない話。主役は生き物ということである。

長崎市事例紹介

田上)今、長崎とは違うまちの話をたくさん聞いたと思う。共通点と違う点、たくさんあると思って聞いた。最初の西田市長の話では、一番大事なのは協働。本当にそうだと思った。財部市長の話では、地域をひとつの範囲として考えていく地域マネージャー。そういう発想も長崎にとっても大事と思って聞いた。

長崎で環境に絞って、話をしたいと思う。まずは市民協働の話だが、色んな課題がある。それを解決するときの考え方は、財源、エネルギーがどこにあるのかということがある。ひとつはまだまだ使われていない、活躍していない人材がいる。もうひとつは力を合わせることで協働の考え方を取り入れていこうということで考えている。

今日の会場は原爆資料館のホールである。玄関には平和案内人のみなさんがユニフォームを着ている。平和のことを案内してくれるが、生まれて10年ちょっとである。被爆者の方が話をしてくれることから始まったが、被爆者の数が減ってくる中でどうしたら良いか、被爆者でなくてもできるのではないかということで始まったものである。実際にやってみると、勉強して思いを込めて案内したら、この制度をつくって良かったというふうに変わっていった。追悼平和祈念館、朗読で伝えてくれる方がいる。これもまた新しい伝え方だが、非常に伝わるものが、実際に聞くとある。少しずつ平和に関してもそういうことがある。

それから、防災も地域の中で取り組んでいただいている。防災について詳しい人がいたらいいだろうということで、リーダーをつくって、市民防災リーダーになってくれている。面白いことが起きているのは、学校が、子供たちが減っていて、地域の人が、子供が少なくなって、運動会に出なくなってきている。しかし、運動会は元々地域のイベントだった。これを、これまでは子供が多かったから子供でいっぱいだったが、地域も参加できるようになったと考えられないかと。例えば、初期消火訓練の事例が始まっている。わざわざ訓練をするのであれば人は集まりにくいが、運動会の中で防災訓練をすると違う。子供たちもこれを見ている。台風が来たとき、これまでは市の職員が担当していたが、避難所から遠いところも現状があるのであれば、地域の人が開けてもらうなど、色んな工夫が始まっている。地域に色んな力が眠っている。そういうことを広げている。

その中で、長崎市で昨年、「長崎市よかまちづくり基本条例」をつくった。できることを出し合うまちづくりをしよう、という条例である。市民が参加して議論してつくったものである。条例は難しいが、文章は市民の普通の言葉である。市民が議論しながらつくった。案ができたから知ってもらおうということで地域を回ったが、少しずつ練り上げた条例である。みんなで共有しよう、参加しようという原則。力をあわせて、協働の原則、そして全員プレーヤーの、全員が当事者。当事者と思う人が増えるまちを、という昨年できたばかりの条例である。まちづくり基本条例、理念条例なので、具体化していこうということで、すでに平和や防災の話などの例を挙げたが、そのような取組をやっていくことを考えている。

では、環境の面ではどうなっているかをこれから紹介する。

地球温暖化対策検討懇話会、実行計画協議会がある。この2つは前段になる動きで、防止するために話し合って計画をつくろうという話である。しかし、計画倒れになってはいけないので、実行する人たちでの会を、その人たちがほとんど入ってくれて動きが始まっている。そして、第1弾、第2弾、第3弾という感じで進んで来ている。

まずエコライフから。エコライフという第1ステップ。市民総参加の、たくさんの人が参加するものである。エコライフ、これには3種類あって、ひとつはエコライフ・フェスタ。2つ目がエコライフ・ウィーク。3つ目がエコネット。1つ目は、1日だけみんなで集まろうというものである。2つ目は1週間みんなで電気を消そうなど、具体的な行動をやろう、応募したら、商品が当たる、というものである。3つ目のエコネットは年中参加します、という人によるネットワーク、でつくったものである。フェスタは水辺の森公園で行われている。4万2千人が参加した。ウイーク、1週間の取組で380トン削減した。杉の木、2万7千本である。もうひとつ、年間活動しようというのは、エコネットを通じてやるものだが、環境と観光などを組み合わせたもので、最終の将来像である。エコネットのみなさんがやっているのは緑のカーテンコンテストや子供たちとの取組などである。「ながさき涼スポット」、街中に避暑地をつくろう、ということで、店舗や観光施設に増やそうという取組など、具体的なものである。そういうネットワークをつくって広げていくという市民の活動の場である。婚活にもつながっている。

そういうのをやりはじめてから大震災が起こった。その中で再生可能エネルギーをどうやっていくか、どういうスタンスを取るかが、大きな議論となった。再生可能エネルギーを広げることは自分たちにできる、安全なエネルギーを広めることになるのでやろうということで、こういう(省エネルギー、創エネルギー、論エネルギーの)整理をした。

減らしていくという意味ではエコライフの動きだが、エネルギーをつくるという動きをしようと考えた。また、論エネルギーは、市民のみなさんと一緒に話をしながら、というもので、東長崎エコタウン構想につながっている。

2つ目の創エネルギー。これは長崎市しかやっていない。ソーラーネットプロジェクト。これは、行政が扱う、企業に使ってもらう、市民にやってもらうことを、三位一体でやろうという取組である。ユニークなのが行政主体のもの。行政がメガソーラーをした。ごみ埋立地に、この土地が他の用途に使うことができないので、そこにソーラーをリース方式で設置して、売電している。年間1千2、3百万円の利益が出る。収入が上がっている。その使い方は後で話す。企業には学校などの屋根貸しをして太陽光を設置してもらう。3つ目は、飯田市に学んだファンドをつくって、出資によるパネルを設置するもの。この3つを同時に進めている。

論エネルギーで紹介したエコタウン構想。自然と技術が共生する、安全安心なまちである。地域の方が、議論から入り始めている。省エネハウスや電動バイクの充電、下水処理場の汚泥から発電、そういうことを考え始めている。これがわかりやすいものだが「メタサウルス」というものである。下水道の汚泥を圧縮するものである。新しい仕組みをつくって、これを発電に使ったり、肥料にしたりする。課題は、地域のみなさん全体がもっともっと、参加する人を増やしていくことである。

売電の仕組みをつくって、基金に貯めて「サステナプラザながさき」というセンターを立ち上げる。いろんな市民のみなさんに参加いただける場にして、動きをさらにもう一段上げたい。地域、企業のみなさん、参加をして、サステナプロジェクトとなる。いよいよ第3ステージに入っていこうという段階に入っている。

そういう中、JICAの事業に協力してインドとの交流もある。

そういう動きをつくっていく中で関心のあるみなさん、ない人も参加する仕組みを作っていこうというのが、長崎市のやってきたことと、これからやっていこうということである。

ディスカッション

すぎ本)まずは、お互いに質問したいことから。

田上) 水俣が体験したことを世界に伝えていくことは大事である。一方で、長崎には被爆者の高齢化があり、伝えていくことが課題である。そのあたりで水俣の現状などを伺いたい。

西田) 水俣も語り部が活動されている。水俣病の患者さん、認定の患者さんがどんどん高齢化している。私たちは次の第2世代をどうしようか、という議論をしている。縁戚関係のある、血縁のある方に話をしているが、解決していない部分があり難しいところがある。違う方でもしっかり水俣が経験したことを語れる人を育成しないといけないと考えている。経験を次の世代に伝えていくこと。世界に同じような過ちが、もしかしたら、途上国で起こっているかも知れない。そういうことをきちっと伝えていくことが私たちの役割である。言葉として伝える人を育成のするのが悩ましい、研究しているところである。

西田) 長崎市の取組として、「第3ステージのエコライフで、基金を創設してサステナプラザを設立し、市民の活動にお金を回して支援する」と聞いたが、そのイメージがあれば教えて欲しい。

田上) 先ほど、ソーラーの売電収入が生じることを話したが、サステナプラザの運営と、子供たちの環境教育の2つに基金を使う。サステナプラザは温暖化防止活動推進センターだが、環境について関心があるが、やり方がわからない、壁に突き当たっている方が、相談に行って、参考となる活動を紹介するものを考えている。具体的な市民活動をしている人が講師に、大学の先生も講師に、といった具合にしたいと考えている。そういう、皆さんがつながっていくための場所、活動の最初の入口をわかりやすく伝える場所としたい。もうひとつは資金を。その2つをこちらで用意して、サステナプラザとしたい。サステナプラザを、ぜひ今日お越しのみなさんに使っていただきたい。みなさんが活発に使い、要請、相談もたくさんあれば、その時、第3ステージが軌道に乗ると思う。まだスタート地点に立ったところ、これから取組が始まるところである。様々なみなさんにぜひ活発に使っていただきたいとイメージしている。

すぎ本)先ほどの発言のとおり、市民協働、参加が非常に大事と思う。その中でESDという用語が出てきたが、人づくりをもっと進めるために、もう少しアイデアをいただきながら、議論したい。

他の自治体でもやっていて感じたことをミックスできないか、であったり、宇部と水俣と対馬が子供達の環境教育の交流をしているような、何か地域でできることと地域がつながることでできることがあると思うが、何かそういうあたりで、話を加えていただければ。

西田) 水俣は先ほどからのとおり、2市と子供達の交流をしている。また、最近は福島市と交流をしている。福島も非常に風評被害を受けたところで、現時点でもなかなか収まっていない。やはり差別に繋がらないように、というのは私たちも思っている。水俣の経験したことが何かお役に立てばということで、議員や子供のレベルで行き来をし、その中で私たちが学んだことを福島に、また、水俣に学びたいということもあり、支援を積極的にやりたいという雰囲気はある。

財部) ESDの話が出た。私ども地域の者が、子供たちに同じことを言うが、私どもが言うよりも外部の人が同じことを伝えてくれた方が伝わる。先ほど13大学との連携をやり、学生さんたちをのべ2000泊受け入れていると言ったが、この学生たちが、中学生、小学生、高校生たちに対馬の地域学を伝えてくれている。私たちが対馬のことを伝えてもなかなか子供達に落ちないが、私たちよりも知らないはずなのに、学生たちが伝えると、なぜか子供達ははっと気づく。極力、ESD、持続的な協働をつくっていくための中に、外部の力をあえて入れ込みながらやっていく。そして、それも協働学習の中に環境を入れていくと、僕らが言うよりも、落ち込んでいくので、外の力がいるということで、市長をやめた後も外部人材を対馬に持ってきたい。

田上) 長崎の場合、よく被爆地の肩書きであちこちに出て行くが、世界に出ていくと、世界の体験を知っているのか、ということに突き当たることが多い。これに対しては、自分たちが理解していくことがすごく大事と感じている。そこで、国際理解教育に力を入れている。学校にいて、英語で色んなことを教えている。これは、日本で3番目か4番目くらいに多い。その中で色んなことを伝えてくれるが、文化の違いや考え方の違いを理解することが大事である。高校生、大学生がいろんな活動をしてくれているが、外国に行って体験を言うと、同じ世代の学生から核兵器は良いのではないか、との意見も出る。長崎では絶対悪だが、海外ではそうではない。人間には要らないものということをどう伝えていくか。対話力、コミュニケーション力が求められる。多様性を認めながら、どう伝えていくかになる。これはまさにESDの取組として大事なことである。それにより、被爆者の人が少なくなっていく中で、どうやって平和に貢献できるか、そういう活動が大事になってくると思う。

すぎ本)今言われたことに頷かれていたと思うが、人が基本だと誰しもが気づくが、市民という捉え方に、自分の地域だけでなく外の人も大事な市民なのかも知れない。自分たちがまず気づかないといけないが、そういうことを気づかせてくれる、その人が大事である。多様性である。生物も多様性が大事と言われているが、人間社会でも文化の多様性を理解できないと、自己が正しい、となってしまう。なぜわからないんだ、となってしまうことがとてもある。

そういう意味でも重要なことを言っていると思うが、人を基盤にして最初の問題、地球温暖化のような大規模な世界を変えるようなことにどう対応していくのが良いだろうか。20年ほど前は、国がすれば良いとなっていたが、今は違う。ひとつは新しいエネルギーをつくっていく、そして、大事に使っていく。それによるまちづくりをしていく。まず、新しいエネルギーを地域からつくっていくこと、特に再生可能エネルギーは、本来地域にあるものなので、本来メリットが地域にあるものである。しかし、最近、太陽光で起こっていることだが、いつの間にかメリットが都会の企業に行っていることがある。そのあたりも踏まえて3市が今取り組んでいる再生可能エネルギーの、面白い特徴があることをもう一度、お願いしたい。

西田) 再生可能エネルギーについては、今、川内原発が水俣から40kmのところにあって一番に再稼動したところということがあり、水俣でもその議論がある。30km以上なので、意見を言えないが、福島の事故を知っているので、非常に心配をされている。また、議論がされている。原発がなくなったときにどういったことがいるかなど。メガソーラーは水俣も結構つくられていて、計画として、ゴルフ場の跡地にもある。そこに1個できたら水俣の電力はそれで全部賄うくらいである。それが良いかどうかは、先々を考えると心配な部分もあるが、火力、原子力よりも積極的にやっていきたい。ただ自分たちで利用できるものでも小さいものでもできるものとして、大きくなく、山も綺麗にできる、自分たちの周りのもの(木質バイオマス)を考えている。当初は大きな計画をやっていたが身の丈にあったものをやりたいということで色んな事業者が集まって研究している。身の丈にあった再生可能エネルギーを考えていきたい。

すぎ本)最近、社会の関心の方向がバイオマスに向いているが、実は規模が大きな計画が多すぎる。実際、燃やすバイオマスをどこから持ってくるかという話になっている。いつの間にか海外からという話になっている。それが地域にどうか。今、話に出た、身の丈が非常に大事。

財部)今、水俣市長が言った、身の丈は大事。対馬は独立電源の島。九州とつながっていない自分たちの使う量をすべてバイオマスに切り替えた場合、何年とか特定しないが、山が無くなるでしょう。だから、何割に設定にするかがすごく大事である。ただし、独立電源といっているが、いつも海がしけている。つまり、潮も風力も波もある。膨大なエネルギーはある。しかし、エネルギーをつくっても外に出せないという問題がある。九州電力の相談役に会ったとき、直接お願いしたが、どうかして、系統を結んでくださいと、再エネを多く流し込めるようにと。それが嫌なら、電力事情は韓国のほうが近いから向こうに送るよと。そうすれば、それは困ると。やはり、そのあたりのことをきちんとやらないといけない。そのあたりのことは、やりにくい状況に対馬はなっている。

なお、最近のニュースで、バイオマスナノファイバーというものを聞いた。研究者のみなさんには、バイオマスナノファイバーも研究して私どもに新しい情報を提供して欲しい。

田上) 去年の7月に産業遺産が世界遺産に登録されたが、対象が造船と炭鉱と製鉄である。3つが産業革命に貢献したということで23のうち8つが長崎となった。

その造船は大きな産業で有り続けている。

そこでの技術は、まさしく新しいエネルギーをどう考えていくかに活かせるのではないかということで、海洋産業クラスターという、新しい企業の集積体をつくろうという、集まってつくれば製品までつくれるのではないかという活動を始めている。

この活動は、スコットランドが先進地である。向こうとも提携をして話をする中で、出島では今、新しい活動をする企業を産む施設があるので、そこにスコットランドの企業が入って、一緒に洋上風力などを色んなやり方を始動し始めているところである。

これもスコットランドとの縁である。

スコットランドは元々グラバーさんの出身で縁があって、プラス効果になっている。グラバーさんは長崎は本当にお世話になっている。炭鉱も造船も。トロール漁法はグラバーさんの息子が貢献したものである。グラバー邸があるおかげで観光客も来る。さらに世界遺産になって未来にも貢献している。さらに洋上風力発電も。グラバーさんに感謝しないといけない。

すぎ本)今の話は再生可能エネルギーとつながるのは、面白いのは遠いところのものではなく、自分のところのものを使うというところ。自らのものを活かすのも、グラバーさんを活かすのも同じかと。

自治体で自ら条例を決めるところもある。地域環境権を定めるところもある。地域のために役立ってもらおうというのを始めるところもある。

財部さんがこれで帰らないといけないということで、最後に一言。

財部) 今日、全然触れていないことがある。森がいっぱいあると言った。森は、皆様が出している二酸化炭素をいっぱい吸収してくれている。それを1トン8千円で売っている。日頃の生活で、たくさん悪い生活をしていると思う人は、対馬から買ってくれることをお願いして、次に行きます。

すぎ本)あと少し、残った2人と話をしたい。

環境のまちづくりというのは、そうでないといけないと思うのは、地域の産業を活性化させるもの、地域で雇用を生んだり、産業との結びつけをしないと持続可能ではない。

水俣は、そういうことをエコタウンでずっとされてきたと思うが、そういうことを踏まえて何か。

西田) エコタウンがあり、色んな再生、リユースのビンのリサイクルなどの、集積がある。バイオマス発電を考えていたのはエコタウンの中につくって、熱利用をして、企業に有効利用してもらうというものであった。結局、材の問題が非常にあり、最終的に身の丈だと考えなおした。

山を綺麗にして、地元の山を綺麗にして、山はお金にならないので荒れているので、それをうまく間伐してできればということとした。

先ほどの企業、水力発電を来年度から自由化されたときに売電も検討して売るという話を聞いているので、市役所の電源や公共のところに使えないかと、地元の企業と一緒にできればと相談をしている。

すぎ本)みなさんご存知のとおり、4月から電力自由化が始まる。しかし、いい方向にいくのか悪い方向にいくか悩ましい。下手すれば安いので、石炭火力に進み、温暖化を進めることにもなりかねない。環境省も石炭火力を認めるということを言い出した。電力自由化は、再エネを選べるというのが本来の趣旨。しかし、日本はどうなるかわからない。

その中で、九州ではみやま市で、自治体が電力会社をつくって、地域に共有していくというのをやり始めて、いろんな自治体と共有したいと言っている。

もうひとつ、今日の田上市長の東長崎エコタウン構想の話。未来のある話と考える。

今まで日本の中で、現地に行けば面白い事例はあるが、ドイツやスウェーデンでは、その先進自治体に行くと、見た瞬間に、一歩先、二歩先に進んでいる様子が見えるものがあるが、日本ではなかなかそれが見れない。何か、東長崎エコタウンにはそういうものが見えるものが現れるかと思っていたがどうか。

田上) 具体的に燃料としてのエネルギーではなく、まちづくりのエネルギーとして、歩いていける、見渡せるここを、もうちょっとこうしたい、というモチベーションを生む範囲があると思う。ここが自分たちのまちだという姿が具体的に見えてくると、もっと良くしたいということになってくる。

長崎は、一番南に住む人からすると、地形や自然環境がわからなかったりするが、動きが見えてくることがまちづくりに参画するのに大事である。

東長崎エコタウンには大学があり、地域に関わろうという意欲がある。下水処理では企業の参入がある。そこで実験をしたい、地域と一緒になってやりたいという申し出でその話になった。協議会をつくって参画しましょう、ということ。そこにメンバーが揃っているということで、すごく可能性がある。こういうものの動き方はあまり焦ってはうまくいかないし、ゆっくりしても進まないかも知れないが。まちづくりと同じく。この地域自体がまちづくりにとても熱心で、お互いにこうしようと考えながらやっている地域なので、非常に可能性があると考えられる。

すぎ本)東長崎エコタウンの絵などを見たが、パリ協定の話をしたが、その世界の姿はどうかを具体的に考えないといけない。それは地域で考えないといけない。

今の日本の数分の一までやらないといけない。その将来像を見えないといけない。

具体的なビジョンがある、10年後20年後良いまちになる。しかし、どんなまちか。それと同時で、どういうものが求められるかである。

最後に、(会場が)原爆資料館なのであえて聞きたいが、環境と戦争、そのあたりについて、2人に聞かせていただきたい。

簡単に言うと、戦争は最大の環境破壊である。長崎を見てもらえればわかる。しかし、逆に環境破壊が戦争の原因になる。IS、そこはシリア、なぜ不安定になったかは、政治体制もあるが、気候変動ですごく乾燥が進み、穀物が取れなくなって社会不安になってああなった、という検討レポートが出始めている。

今後、温暖化が進むことは世界中で戦争の原因を増やすことになると言っている。そこで、戦争と平和、環境について、どういうことを考えているかについて披露願いたい。

田上) 2つに絞ると、1つは核兵器の問題で、今、核兵器をどうやってなくそうかという議論が国際社会の中で起こっている。そのときにこの視点からやろうというのが、核兵器の非人道性である。この観点から無くしていこうということが主流となっている。

非人道性は、長崎、広島がずっと言ってきたが、実際にインドやパキスタン、両方の国が使ったときに、どういうことが起こるのか、地球にどういうことが起こり、地球でどれだけの人が飢餓になるのか、10億人という具体的なデータが出ているが、そういうデータ、インドとパキスタンだけの問題ではなくて、みんなの問題なのだという事実を認識、共有して議論し、長崎からも実際にデータを使って、科学的なデータから、これは世界的な問題なのだと問題意識を共有する。これはまさに環境と戦争はつながっている。そういうことがとても大事である。

2市で被爆があったことは世界の多くの人は知らない。国連の会議に出たときに会議の議長の方から写真集を平げながら「世界の人が知らない。原爆にあった人がまだ生きてるのか、という話がある。」との話があった。事実を知るということが第一ステップ。

もうひとつは市民社会の力。環境や核兵器。それが本当に危ないものとは感じにくい。ローカルでも世界的な視野で、見たことがないものは考えが及びにくい。これに私たちができることは無いと思ってしまうが、ずっと訴え続けたり賛同してきて世界の動きが起こっている。

市民社会は大きく、それが政府や企業を動かす。市民社会の力を信じる。小さな力を積み上げると大きな力。

「微力だが無力ではない」

市民社会で、まちも世界も少しずつ変わるかと思う。それで共通だと思う。

西田) 環境については色んなところで話をする機会があるが、戦争について、話したことはないが、水俣では環境絵本をつくっている。今度が4回目である。通常、環境の絵本なので、ごみや川の汚染が大体だが、今回、上がってきたのは、沖縄の戦争のあとの環境破壊。それが環境絵本になるかも知れない。それはベトナム戦争が起こって米軍が使っていたところ。そのあとで枯葉剤が出てきた。生々しい話である。それが絵本になるかわからないが、もしかしたら、環境絵本が戦争を用いたものになるかも知れない。これは今年中にはできると思う。

戦争自体は地球自体が無くなってしまうようなことが起こりうる。水や地域間の対立、環境被害が対立の軸をつくる。すごく目の当たりにしている。環境を守ることは平和につながるということを。

すぎ本)環境破壊は社会の軋轢を産む。地球温暖化が環境難民を産み、難民が社会の軋轢、戦争の要因となる。

そして、長崎と水俣という、ある意味、人類に今日に残さないといけない、この2つのまちが、うまく一緒の何かができればと思っていて。ぜひ、これを機会に、長崎と水俣の共同の、最初は人と人かも知れないが、戦争と環境、平和などで。

それを市民の力で何かつくれればいいと思った。最後に何か。

西田) ありがとうございました。水俣のことを話せることが嬉しい。

なかなかご縁がなかったが、今後2市がつながって切磋琢磨できればと思った。

田上) 長崎は広島と一緒に動くことが多い。すごくジレンマがあることとしては、すごく2つの特別なまち、と考えられていることがある。

言っているのは、現在と未来の話。また起きるかも知れない。それが伝わらない。他のまちが同じことを言ってくると、これは2つのまちではなく、みんなの問題と気づいてくれる。それは水俣と同じかも知れない。

共有して話し合いながら、ネットワークを広げていくことはとても大事。今日はこのような機会をいただいたことが良かった。

すぎ本)市民社会の力を信じたい。微力だが無力ではない。環境も平和も地域づくりも市民社会からの力で、やっていきたい。今日はありがとうございました。

(まとめ:大西康史)

独立行政法人環境再生保全機構地球環境基金の助成を受けて製作しました
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